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婦団連創立50周年
市田書記局長があいさつ(要旨)


 12月7日に行われた日本婦人団体連合会(婦団連)創立50周年を祝う集いで、日本共産党の市田忠義書記局長のあいさつを紹介します。


 日本婦人団体連合会の創立50周年おめでとうございます。50年のあゆみを築いてこられたみなさんのこれまでの奮闘と貢献に心から敬意を表するとともに、お祝いを申し上げたいと思います。

 婦団連が創立されたのは1953年。戦後の日本の社会の激動の最中でした。私はまだ10歳でしたが、きょうあらためて当時の設立趣意書を読み直してみました。

 「戦争が終わって平和憲法ができてホットした」、そういう時に、いまの状況とたいへん似てますが、再軍備のための憲法改正のための国民投票法案が準備をされている。

 「平和の問題で、大きく叫び続けなければならない」ということや、「戦争への道を防ぐためにすべての運動に全力をあげる」決意がそこには述べられています。

 私ごとですが実はわたし8人兄弟、ああいう時代でしたから兄弟が多かったわけですけれども、その8人兄弟のうち4人が戦争と関わって命をなくしました。

 敗戦後8年、自分のお腹を痛めた子どもを4人も亡くした母の気持ちは、痛切なものがあったと思います。

 設立趣意書には、「平和憲法を守り軍国主義復活と反民主主義の逆コースをくい止めよう」。第1番にそういうスローガンが掲げられていましたし、「駐留軍は、みんな早く自国へ帰ってもらい日本を軍事基地として、アジアで戦争するのは、やめてもらいましょう」など、たいへん優しい分かりやすい言葉で9つのスローガンが掲げられていました。もちろん、情勢も時代も違いますが、わたしはいまに通じるものがあるんじゃないかな、と思いました。

 婦団連の半世紀の歴史は、その創立の精神を掲げながら、女性の平等や権利の闘いはもちろんですが、そこに止まらないで、日本の社会や政治に重要な問題が起こった時には、日本の女性のみなさんの中に広く問題を提起して運動を呼びかけて、歴史の進歩的な未来のために女性が積極的な役割を果たすうえで、大きな仕事をされた半世紀ではなかったかと思います。

 きょう退任された守谷会長とは、革新懇(全国革新懇)の総会や様々な集会でご一緒する機会が多くありました。

 わたしはそこでのご発言やごあいさつを聞いていて、いつも思ったことなんですが、たいへんしなやかでかつ鋭いといいますか、聞く人の心をとらえる発言をいつもされて、ああいう風に自分もしゃべれたらなと思うことが多かったわけです。

 これは守谷さんの豊かな知性や感性によるものではありますが、同時にわたしは婦団連の歴史や運動と重なり合っているんじゃないかな、と歴史を読ませていただいて、そういう感じがいたしました。

 先ほど、江尻(美穂子)先生からもお話がありましたが、イラク問題、たいへん緊迫した状況をむかえています。あさってにも自衛隊の派兵のための「基本計画」を閣議決定することが伝えられております。

 わたしは犠牲になった2人の外交官の遺志を本当に受け継ぐ道は、自衛隊の派兵や占領軍への協力・加担じゃなくて、あの米英占領軍の占領支配を直ちにやめさせて、国連中心の枠組みに切りかえて、イラク国民の主権を尊重した非軍事の人道支援、医療や教育、食料などの、そういう人道支援を日本が思いきって強めることが、本当の意味で遺志を生かす道ではないかと思います。

 婦団連の値打ちが今ほど輝いている時はないんじゃないか、日本の情勢自身が婦団連のいっそうの発展を求めている。そういう感じがいたします。

 創立以来の設立の精神を発揮して女性の地位の向上、世界と日本の平和、そしてさらには民主的な日本社会の実現をめざして、これまで以上に広範な女性団体との共同をいっそう広げて発展させるために、おおいに力を尽くされることを心から願って、簡単ですがお祝いの言葉といたします。